コラム

第78回 生きることに意味はなくていい

2024.07.02

先日、ある僧侶の方のインタビューをテレビで目にしました。 

年間1800時間に及ぶ座禅を行うことで知られる安泰寺というお寺の住職を 

長年務められた方で、海外で生まれ、高校生の時に座禅に出会われたそうです。 

 

その方が仰られていたのが、 

「今はSNSなどで情報がたくさん入ってくるため、誰かに対しての自分、 

 という比較で自分を捉えることが中心になっている」 

「でも、ここにあるのは『天地いっぱいの我』でしかない。外を歩いたら、 

 鳥の声が聞こえ、虫の声が聞こえる。今ここ、に現れているこれが 

 『天地いっぱいの私』なんです」という言葉でした。 

 

カウンセリングでも、反芻思考が止まらない方、いつも他者軸で行動 

してしまうという方に、マインドフルネス瞑想を実践して頂くことがあります。 

情報に振り回される現代だからこそ、ただ呼吸に意識をむける、 

聞こえてくるものにただ気付く、という時間がより必要になっている 

と感じていたので、その言葉にとても共感しました。 

 

また、長年の坐禅を通して得たことについて、 

「生きることに意味はないんだな、と気づいた時にホッとした」 

「坐禅も、息を吐くこと、次に吸うことに、意味はないんです」 

とお話されていました。 

 

長年、修行に取り組んでこられた方がそう仰るのを聞いて、 

「あぁ、そうなんだ」となにかがストンと胸に落ちて、 

ホッとしている自分がいました。 

 

日常の一つひとつの行動や、今日を生きることに 

絶えず意味を求めてしまい、そこに意味が見いだせないと私たちは苦悩します。 

でも本当は、生きることそのものに意味はなくていい。 

 

修行未経験の私には、きっと一部しか理解できていないように思いますが、 

まずは、「何かに意味を求めている自分」に日々気づいていけたらと思います。